中学受験は個別指導で成績伸び率の差が出る!!

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国語対策法を伝授

「学ぶ」とは「真似る」こと。⑤

2024年3月28日

 続きです。

「素直で真面目で熱意のある子」成功する子どもの資質につきまして先日このようなお話をしましたが、ここで注意していただきたいのは「真面目の定義」です。本日はそちらのお話ですね。

 よく「大人しくて真面目な子」「控えめで真面目な子」のように「大人しさ」「控えめ」と「真面目」をセットにして評価することがあるのですが、この両者はまるで違いますのでセットになることはありません。

 私も仕事柄「大人しく静かな子」に出会うこともあるのですが、不思議なことにそういうタイプの子のご両親は逆によくお話しされます。その分口出しも多いのです。おそらく口うるさい親からの自己防御姿勢がそういう子を作り出してしてしまったのかな、と思います。本来生物は子ども時代は「ちょこまか」していてイレギュラーかつ無鉄砲な行動をとるものです。ですから「大人しく静かで控えめな・・」は不自然な姿なのです。もしそうなら「親御さんがそういう子にした」これは間違い無いと思います。

 過干渉の親に育てられた子は「反抗しても無駄」「自分はああいう親にはなりたくない」で、心が引きこもり状態になり「大人しく静かな子」になるのです。学校でもそういう子は「他者に介入されたくない」「介入されて傷つくのが嫌」「目立って吊し上げられるのが嫌」なんだと思います。自分を制限してしまう点で生き方が消極的なんですね。これが過度になると「何事にも対しても無気力」になるのです。Fランと呼ばれる大学に行けばわかりますが、多くの学生が大人しいというか「勉強もサークル活動もバイトも全てにおいて無気力なタイプ」が多いのです。

 大人しく静かな子は大人から見て人畜無害です。要は自分(大人・親)にとって「余計なことをしない都合の良い子」なのです。その取り扱いのしやすい子を「真面目」と一括りにして評価したり、「真面目の定義」にしてしまったりすると物の道理を見誤り、子育てで失敗してしまうのです。

 「生き方が消極的」なのが「大人しく静かな子」の特徴なのです。中には表面的にはそうであっても心が燃えたぎっている子もいます。そういう子は「生きる気力が積極的」で、本当の意味で真面目であることが多いです。また、授業時に私との会話が楽しめるような子は、大人に臆することなく接することができる行動力できる点で「真面目」の部類に入ると思います(当塾ではよくしゃべる子の合格率・パフォーマンスがなぜか高い)。

 「真面目の定義」を永田なりに解釈しますと「積極的に生を全うする」ことだと思います。生きることに全力を使うことが生きとし生けるものの義務であり、それを全うすることが「真面目」ではないかと考えています。そして「真面目な子」は先日のお話通り「エネルギシュで行動力のある子」でもあるわけです。

 真面目の真の意味を定義した上での「素直で真面目で熱意ある」であることが、中学入試での成功に欠かせない資質なのではないか、そのように感じています。

 次回から新テーマです。

  



「学ぶ」とは「真似る」こと。④

2024年3月27日

 当塾は殊更上位校実績を高めたい塾ではありませんので「生徒さんを選ぶ」「できる子しか入れたくない」タイプの個別塾とは一線を画します。
ですので、いろいろなタイプの生徒さんが入塾しますが、前回も申し上げた通り「素直で真面目で熱意ある子」のパフォーマンスがいいのは間違いありません。しかしそうでない子も多く、同じ授業を受けていても結果に差異が生じるのはやはり「性格の違い」だと言わざるを得ません。

 偏差値の高い男子校(開成・筑駒・麻布など)を訪問したり説明会に訪れたり学園祭・体育祭に行ったりして気づくことがあります。それはエネルギー量と行動力が凄まじいということです。「お勉強ばかりのひ弱で青白い子」みたいなステレオタイプの秀才は存在せず、皆エネルギッシュなのです。むしろ乱暴なくらいです。部活も遊びも彼女との付き合いも全力投入です。そしてそれ以上に勉強にも全力投入します。「ものすごく遊ぶなー、だけどものすごく勉強してるなー」という印象なのです。

 逆にエネルギーの不足しているのはだいたい偏差値低めの学校で、良くいえば「一見慎ましやか」ですが、悪く言えば「覇気がなく無気力である」という印象です。学校訪問を幾度と重ねてきますと概ねこういう印象になるのです。

 小学生も同じです。

 「素直で真面目て熱意ある子になれない」のは自分を変えるエネルギーと行動力がないからなのです。どんなに成績が悪くともどん詰まりになっていても「現状維持が楽だから」で自分を変えられない。そのエネルギー不足と行動力の無さが今の生徒さんを作り上げてしまったのです。一見「こだわりが強い」「自分流を通したがる」とプラスに見えますが、崖っぷちの状況の中でこれでは「茹で蛙」になり立ち腐れしてしまうだけなのです。

 次回に続きます。

 

「学ぶ」とは「真似る」こと。③

2024年3月26日

 続きです。
 
 前回も申し上げましたが(今回のテーマもそうですが)「真似ること」。これが生徒さんが第一優先でやるべきことです。その後の伸び代の幅はそれができたかどうかで長短が決まっていきます。

 「真似る」は簡単です。その簡単な「真似る」がどうしてできないのか?それを妨げているのものは何か?、また、できるのはなぜか?と問われれば「全ては性格に起因する」ということになります。頭の良し悪しとかではなく、入試の結果は「生徒さん個々の性格」で決まるのです。「頭の良し悪し以前に性格ありき」。性格が能力を作り上げるのです。性格はそのくらい個人の能力や入試の結果に影響を与えるのです。

 アイスクールも15年程度の歴史がございますが、やはり「偏差値20くらい上がりました」という生徒は例外なく性格の良かった子です。ここでいう「性格の良い子」とは「素直である」「真面目である」「熱意がある」この三つが備わっていた生徒です。どれか一つでも欠けている子は(受かることは受かっても)パフォーマンス的に物足りない場合が多いです。「驚異的に伸びた子」は間違いなくこの「三つの資質」が備わっていました。

 偏差値35→55→暁星  偏差値40→65→慶應中等部  偏差値40→60→早実・・ このような事例がワンサカ記憶から蘇る。どれもこれも「素直で真面目で熱意のある子」が成し遂げた結果です。また、私はあるご家庭の三兄弟を全て担当したことがありますが、お母様の教育が良かったのか3人揃ってこのような性格で、上の子どもから順に 筑駒→東大、白百合→慶應、早中→早稲田となかなか素晴らしい結果を残しており、このような子どもらに出会ったことは私の財産になっています。

 当塾に関わる全ての生徒さんがこのような性格であってほしいのですが、なかなかそうはならない。「三つ子の魂なんとやら」で性格とは本当に変わらないものなのです。

 しかしそれを無理にでも変えないと未来は見えてこない。

 次回は「なぜ変われないか?」「変わるためにはどうしたら良いか?」その辺りのお話をしたいと思います。

 

 

 

「学ぶ」とは「真似る」こと。②

2024年3月25日

 続きです。

 さて、女の子にありがちなのですが「ノートが異常に綺麗」な子がいます。字の美しさもさることながら色とりどりのマーカーを使い「装飾品」のごとく鮮やかに仕上げている子がいます。国語の文章も「主要箇所」と思われるところに、これまた色とりどりのマーカーを使い分け線を引いている。体験授業でこういうノートを見せられ「これ、授業中に仕上げたの?」と問うと「うん」少し誇らしげに生徒さんは答えます。

 これを見た瞬間に「あ、この子はできない子だな」と察知します。そして案の定体験授業でそれが暴露されます。つまりマーカーの使用頻度と学力はだいたい反比例するのです。なぜでしょう?

 これは子どもが・・というより「親の影響」です。「ノートを綺麗に仕上げなさい」「文章を読むときは大事な箇所に線をつけなさい」という親の指導に影響され、子どもがその通りにやっているのです。すると親は「素直な子」として我が子を評価し、評価されて嬉しい子はこれを踏襲するのです。なのにテストの結果が思わしくないと、我が子がしっかり勉強しているのに伸びないのは塾や講師のせい、とか言い出します。しかしそもそも上記の親は自分の指示・指導がおかしいことに気づいていないのです。俗にいう「子どもの頃に勉強のできた親」「中学入試経験のある親」だとこういう指導はしません。これまたなぜでしょう?

 それは「そんな暇はないから」です。暇だからこういうことをするんですね。では、暇とは?それは「講師の話を聞いていない時間」を指します。上記の子は先生の話を聞かず「綺麗なノート制作」に授業時間を使います。文章に線をつける子は集中して読む以上に「文章を色とりどりにして頑張った気になること」に授業時間を使います。要は貴重な時間を使い本末転倒なことをしているのです。本当の優先順位は「ノート作りより先生の話を」「色とりどり文章より集中して読むことを」なのです。そもそも色とりどりにしたところでこういう子はそういう箇所を特に覚えているわけでも活用しているわけでもないのです。色とりどりにすること自体が目的になってしまっているからです。ぶっちゃけ「自己満足の世界」に浸っているだけなのです。(魔除けやお札のごとく、勉強机の前に年表や公式を貼るよう指導しているご家庭も子どもに自己満足感だけを与えている)

 先生の話を集中して聞いていたらノートを作る暇はない、集中して文章を読んでいたら文にマーカーをつける暇はない。できる子はそんな暇はつくらないのです。そのせいで確かにノートなどはおざなりになりやすいし、文章にマーカーをつけることもない。しかし講師の説明をしっかり聞き、真似ること実践することに重きを置きますからテストで結果を出せるのです。

 中学受験で上位校に合格したような親御さんはそのあたりは熟知しているので、塾からの帰宅後子どもに「ノートきちんと取れた?」「文章にマーカーつけた?」とは問いません。「先生の話よく聞いてきた?」と問うのです。「聞いて真似して活用した」という回答ならOKです。「板書されたグラフを写すのに一生懸命で何も聞いてなかった」では意味がないのです。

 ノートを綺麗にしたいなら授業時間ではなく、家に帰ってから暇なときにしてくださいね。復習を兼ねたこういう作業でしたら有効だと思います。

 次回に続きます。

 

 


 

 



 

「学ぶ」とは「真似る」こと。

2024年3月24日

 「大手有名塾に何年も通っているのに伸びない」このような悩みを抱えている当事者そして親御さんは多いのですが、もしその塾が無能な講師の集まりだったらそこはとっくに潰れていますよね。しかし同じ塾に通っている同じ講師が担当しているのに「成績を伸ばしてくれた受からせてくれた〇〇塾、〇〇先生ありがとう」という声も一方ではあるのです。不思議だと思いませんか?

 私も大手塾出身ですが、例えば「四大大手塾」ともなればそこに所属する講師は皆さんそれなりに学歴があります。そしてそこに勤務するには複数の学科試験・模擬授業が課せられ、何倍かの競争率を乗り越え、そしてお墨付きをいただいた上で合格しやっと講師として働けるのです。ですので決して無能な人が指導しているわけではないのです。簡単にいえば「学習指導という点においては信頼と実績のある講師」がほとんどなのです。

 変な話ですが東大理科三類出身の算数講師(私の先輩にいましたが)と下位クラスの生徒が同じ算数のテストを受けたらどうなるでしょう?おそらく100勝0敗で講師が勝つでしょう。1万回やっても同じこと。「そりゃそうでしょう」とほとんどの方が思うはず。しかしそこで一つの疑問を持たなければならないのです。「どうしてそうなるのか?」と。「先生は元から頭がいいから?」「大人だから?」違います。「ノウハウを知っているから」です。

 そのノウハウは「学びの経験と努力」が蓄積されたものです。「自分もそれが積み上げられていたら勝てたのに」「だけどそんなに経験も努力もしていないからな」と思うなら、その算数の先生から脳みそを拝借すればいいのです。テストの時だけね。でもそれは無理ですね(笑)。すると「拝借できない、それなら真似をすればいいんだ、そしたら効率よく先生の脳に近づけられる・・」という当たり前のことに気づくはずです。

 同じ講師が担当しているのに学力が伸びるかどうか、その差は「真似力の差」で決まるのです。もともと「学ぶ」とは「真似る」から派生した言葉なのです。つまり学びの根本は「真似をする」なのです。寺子屋の時代から授業とはそういう場。「君たちのすべきことはこの教室で先生の真似をすることなんですよ」「そして蓄積されたノウハウをテストで活用することなんですよ」が「指導の本来の有り様」なのです。

 なのにその本質を理解せず、「教室内でぼーっとしている」「教わったことを無視し自己流に固執する」「講師の話を聞かず板書されたものを写しすことに終始している」を繰り返していると、「塾にお金だけを落としに通っているお客様」で終わってしまい、なんの成果も得られないまま「時間とお金の浪費」「塾への不平不満」を蓄積させていくことになるのです。

 厳しいことを申しますが、変わるべきなのは塾や講師(中には変わる必要のある方もいますが)ではなく、主に「受け手側」つまり「生徒」なのです。

 次回もこのお話を続けます。

 

 

 

子育てについてのお話。⑩

2024年3月19日

 最終章です。

 「子どもに暇な時間を与える」これは(前回申し上げた通り)大事なことなのですが、これを積極的になさっている親御さんはあまりいません。一方でそれを意図的に実行されている親御さんもいて、うまくいっているケースが多いようです。水泳、英語、サッカー・・などなど、受験準備期間中にお子さんがそれ以外のことに関わりすぎると「学習する時間がなくなる」「疲れがたまる」「習い事のストレスがたまる」「睡眠が不足する」「イライラし精神が安定しなくなる」「学習に集中できなくなる」「全てが中途半端になり何一つ成就できない」などデメリットが表面化しやすいのです。これは理屈で考えてもわかる話ですよね。サッカーや英語などの習い事を否定しているのではありません。受験後に再開し思う存分楽しめばいいのです。敢えて受験期間中にやるべきことでもないように思うのです。片手間で中学入試に挑み成功するのは困難なのです。

 「暇な時間を与える」ことに抵抗のある方は「子どもに暇を与えたらロクな事はしない」「そんな時間があれば有意義なことに使いたい」と考えているからです。しかしその「有意義なことに時間を使う」が子どもを疲弊させてるのではないかと考えてみてもいいと思います。そもそも親御さんの「暇を与えたらロクな事はしない」という考え自体がよくないのです。なぜなら「ロクな事はしない」の根底には「子どもを信じていない」というマイナス思考があり、そのマイナス思考のままだと(先日来申し上げている通り)親の潜在意識通りに「親から信用されていない通りに、ロクでもないことを仕出かす子ども」が顕在化してしまうからです。

 「暇な時間」は決して無駄時間ではありません。ぼーっと無為に過ぎていく時間のように傍目には見えても、その間お子さんの頭はフル回転しています。それを信じてあげるのが親の役目なのです。
 
 何をフル回転させているのか?と申し上げれば「人はより良くなろうとしている」、これは全ての生物がそうなのですが「生き残るため自分を進化させようとするのは本能」なので、お子さんの「ぼーっとしている時間」は意識的だろうが無意識的であろうがそういうことについて考える時間に頭を費やしている(フル回転している)のです。そして勉強の必要性に迫られ、より良く生きる為にそれが有効だと判断したなら「自分から勉強するようになる」のです。これも周りの目からは唐突に見えますが、本人の中では「練って練られた結論」なのです。うちの子も高校時は英語は・・・な状態でしたが、今では英文科に籍を置いています。多分どこかのタイミングでその必要性に気づき、一気に仕上げた結果だと思っています。ちなみにその間私は「いつも通りの無干渉」でした。「中卒から企業を立ち上げる」「勉強嫌いだったので進学せずラーメン屋になった」そういう人を知っていますが、こういう方は経営学や味の研究についてはそれぞれのプロです。「親からの強制」などではなく、「必要に迫られ、それを勉強したほうがいい」と自分で判断し自主的に勉強した結果、彼らはその得た知識ノウハウを活用し成功を収めているのです。

 睡眠も休日もそうですが、それは無為・無駄な時間ではありません。自分と向き合い思考する時間なのです。

 睡眠も休日もぼーっとする時間も与えず、ひたすら「何かやること」に時間を費やす。そして子ども(生物)の本能を信じず、お勉強は全て親がお膳立し無理強いする。この一連の流れは親自身が子どもを「信じていない」ゆえの行動なので、子どもは(一時的にはうまくいくかもしれませんが、長期的には)親の潜在意識通りの結果になる、つまり潰れてしまうのです。

 「(子どもを信じずマイナス思考強めの)親が子どもに良かれと思ってやった事はだいたい裏目にでる」のはそういう事なのです。

 次回は新テーマです。

 

 

 

子育てについてのお話。⑨

2024年3月15日

 ここまでをまとめますと

 (違法行為や他者を故意に傷つける行為でない限り)
 1 子どもの言動行為を「肯定する」。
 2 子どもの「嘘」や「迷惑行為」など(子どもに悪意はないことで親にとって都合の悪いこと)には寛容になる、そしてそれに至ったのは親側に原因があるのではないかと考える。
 3「短気な親」は運に見放される、短気の根底にはマイナス思考があり、その思考は現実化するので悪影響は自分だけでなく、子どもをも道づれにしてしまう恐れがある。 
 つまり「肯定する」「寛容になる」「短気な自分を封印する」が子育ての基本だと私は考えています。

 肯定されたり寛容に扱われたり親が穏やかだったりすると子どもは萎縮することなく心がのびのびしたままでいられます。そして、そういう子は未来に希望が持て楽観的に物事を考えられますので、実力だけでなく運も絡む中学入試では「思考が現実化する」という点で良い方向に導かれ易いのです。

 話は変わりますが、ここ最近、スケジュールが空くと「ぼーっとしている暇時間は悪」とばかりに「習い事」でそれを埋めようとする親御さんが増えているように思います。これも毎度申し上げていますが、習い事の数、それに費やした時間と中学受験成功率は反比例します。「中学受験成功を目指したいなら空き時間は学習に集中すべき、片手間で受かるほど中学入試は甘くはない」と言いたいんですね。「選択と集中」これこそが大事なのに、あちこちに手を出しエネルギーを分散させてしまい、それでも中学受験は成功するだろう、という「認識の甘い親」とは逆に、中学経験している親御さんはそのような「わざわざ成功から遠ざかるようなこと」をする方は少ないように思います。それは前々から言われている通り「中学受験を体験した親御さんの家庭で育った子の中学受験成功率は高い」というのは親自身が中学受験の厳しさを身を以て知っていて、比較的子どもに適切なアドバイスや指導をすることが可能だからなのではないでしょうか?

 自分からやりたくて習い事をする、習い事が気分転換になる。それならまだ良いのですが親の強制ならやめていただきたい。早起きして学校へ行き、学校で心身共に疲れて果ててからの習い事・・これは子どもを生身の人間としてみていない証拠です。(想像していただければわかりそうなものですが)これではお子さん身体が持ちません。そこに中学受験合格に必要な過酷とも言える量の学習を被せるのは無謀なのです。もしその習い事の継続をお子さんが嫌がっているのなら即刻やめるべきなのです。

 さて、「ぼーっとしている時間が無駄」という考えをなさる方も多いのですが、この「ぼーっとする時間」こそが子どもにとっては大事なのです。朝起きて寝るまでの間、スケジュールに追われて且つストレスを溜め込んでいる子どもの脳は硬直しています。例えるなら毎日が水をたっぷり含んだスポンジ状態になっているようなもので、溜め込んだ水を吐き出す時間(ぼーっとする時間)を与えず、結果的に「吸収すべきものを吸収しないまま、汚水だけを溜め込んだスポンジ」にしてしまっていては意味がないのです。

 次回に続きます。
 



 

子育てについてのお話。⑧

2024年3月14日

 本日は「短気な親」がテーマです。例をあげると「勉強のことで日々子どもを叱っている親」「偏差値の動向に毎回一喜一憂する親」などですね。

 短気も良いところはあります。特に仕事に関しては瞬時に軌道修正を行い先の見通しの立たない事業を断ち切ることで現状を打破し新たな展開に持ち込める、などのメリットはありますが、それでも「我慢強い経営」の方がうまくいくことが多いです。さて、日経平均も過去最高の4万円台に乗せましたが、1万円割れの頃からじっと投信や個別銘柄を持っていた人は相当な利益が出ているはずです。不動産もそう、金もそう。「まさかここまで上がる」なんて10年前には誰も想像していなかったはずです。そしてそういう未来が訪れると予めわかっていたなら誰も急いで売却などしないはずなのです。しかしその予想ができず、短気になって一時的な感情にまかせデイトレを繰り返していた人は「じっと我慢してきた人」より投資パフォーマンスは良くないはずです。

 ここからもわかる通り「短気な人」とは狭いスパンで感情でしか物事を考えられない人、つまり未来を信じていない人なのです。子育てに関して申し上げれば「子どもの将来を信じていない」ということなのです。だから毎回の成績に一喜一憂して心を乱してしまうのです。子どもの将来を信じていない親、その親が子育てをしている。「これじゃうまくいくわけないよね」という当たり前の理屈に気づいていただきたいのです。こういう方の行う子育てはだいたい百害あって一利無しの方向へ動きます。「言霊」とは恐ろしいもので、年中愚痴しか言わないような親を持つ子どもの入試結果はだいたい親の愚痴通りになります。だから面談などで終始「子どもの悪口」しか云わない親御さんに対しては「こりゃダメだな」と思ってしまうのです。

 以前から度々ブログでも申しておりますが「現実は思考した通りになる」のです。例えば性格の明るい人には明るい未来が、暗い人には暗い未来が・・はだいたい当たっているのです。ここで言う「性格の明るい人」とは「陽気にはしゃいでいる人」という意味ではありません。「自分の未来を明るく考えられる人」という意味で「暗い人」とはその逆、年中怒っていたりイライラしていたり愚痴ばかり言ったり・・みたいな人です。なぜすぐに怒ったりイライラしたりするのかと言えば「自分の将来の見通しに不安を抱いている」からです。このような方の未来はその不安通りの結果になる。前回「短気な親は子どものポテンシャルを奪い取る」と申し上げましたが、自分だけならともかく、子どもまでも「自分の暗い未来」に引きづり込んでしまうのが短気な親、という意味なのです。

 だから「自分がが短気な性格」つまり「未来を信じられず不安しかないマイナス思考の性格」なら、そこを改めないと、「ご自分だけならまだしも、大事なお子さんまで巻き込んでしまう」ことになる。そこを真剣に考えていただきたいと思います。

 

 

 

 

子育てについてのお話。⑦

2024年3月13日

 前回は「嘘をつく子ども」についてお話ししましたが、今回は「迷惑をかける子」についてのお話です。私は「迷惑をかける子」への厳しさが日本は少々すぎているのでないかと思います。

 意図的に他人を困らせるための迷惑行為、これは許せませんが「図らずとも結果的に他者迷惑をかけてしまう行為」というのはあるものです。私は子どもの場合はほとんどが後者だと思っています。そうであっても寛容になれないのが日本社会ひいては親御さんなのではないかと思います。

 例えば商業施設であちこち歩き回り他人にぶつかるような「迷惑な子」がいます。すると大抵の親が「迷惑かけちゃいけないでしょ、謝りなさい」と烈火の如く叱ります。しかし子供は歩幅が小さい、結果的にちょこまか歩かざるを得ず、そのように歩いていると体幹が不安定になりよろける傾向にある、また背が低いので見える範囲も狭く(他人の足しか見えないこともある)、尚且つ好奇心旺盛ですから視野が飛びまくり自分を取り巻く状況を把握しずらい「生き物」なのです。大人だったらあり得ないことをしてしまうのが子どもというもの。私は子どもには子どもの事情があるので、大人は子どもの立場で物事を考えてあげ、悪意とか意図的でない迷惑行為に対してはもう少し寛容であってもいいのかなと思います。もしかすると「子どもの躾ができていない親だ」と思われたくないから殊更お子さんを強く叱って「躾けているアリバイ作り」をしている方もいるかもしれませんね(笑)。

 さて、これは以前にもお話したことですが「中学入試を成功させない親」というのは存在します。親顔さんと面談をする中で「あ、この親だったらうまくいかないかもな」という方がいます。そしてだいたい当たります。そういう親御さんの元で育ったお子さんのパフォーマンスは低いのはアイスクール の歴史の中でも既に実証済みです(これは私に限らず同業仲間の共通した認識です)。

 どういう親御さんか? それは「短気な親」です。こういう親はまず間違いなくお子さんの足を引っ張りポテンシャルを奪い取ります。

 このお話は次回とさせていただきます。
 



 

子育てについてのお話。⑥

2024年3月12日

 「褒める叱る以上に肯定する」これが子育ての基本と考えます。そもそも子どもは親の都合で産んだわけで、自分の意志で好き勝手に生まれてきたわけではない、という大前提を忘れてはいけません。その「好きで生まれてきたわけでもない子どもに嫌な思いをさせない」がこれまた子育ての基本と考えています。「甘やかさず厳しく躾けて・・」は子どもに言わせれば「なんでそんな思いをしなくちゃいけないの?」なんです。事実、それによって表面的には「良い子」になることはあるでしょうが、それは装いであり、心がそれと真逆の面従腹背になっていればそれは親子誰にとっても不幸な話なのです。

 「気持ちよく生きてもらう」これは「肯定してあげる」ということなのです。成功しようが失敗しようが(違法行為や他者を傷つけること以外は)全て肯定です。うちの子は嘘をついたことがありませんが、それは彼女の言動行為全て私が肯定しているのでわざわざ嘘をつく必要がないからです。多くの子は(他者を貶めるような嘘は論外ですが)自己防御で嘘をつきます。「テスト見せなさい」「今日はなかったよ」と悪い点数を取ったことを隠すような嘘をつく子は日頃より点数についてきつく叱られているからです。0点だろうが100点だろうが親が肯定すれば、どうして殊更嘘をつく必要があるでしょう?金銭面、人付き合いも同じ、満たしてあげればそちらの方面でもいちいち嘘をつく必要がないのです。嘘をつく必要がない、これは子どもにとってカンファタブルな環境であり、親はそういう環境をお膳立てしてあげる必要があるのです。

 もし仮に子どもが嘘をつくようであれば、反省すべきは子どもではなく親の方なのです。「どうして子どもが嘘をつかなければならない状況になってしまったのか? また、どうしてそうさせてしまったのか?」についての反省です。

 当塾でもかつて答えを丸写しにして、自分でできた風を装っていた生徒がいましたが、これについても私は何も言わず泳がせていました。「できた風を装わせてしまうような関わり方をしたかもしれない私の接し方がダメ」と感じたからです。しかし人間関係を築く中で、永田がいいところも悪いところも吸収してくれる人間だと判断したのでしょう。丸写しは何日か後にはストップし、ありのままの状態を見せてくれるようになりました(ちなみにその生徒は頌栄女学院から上智大へ)

 肯定する→自分はありのままに振舞っていい→自己肯定感につながる。そこに「そんなあなたの未来は明るい」と言い続けることで、自分を肯定し続けてくれる親に守られた子どもは安心して明るい未来像を描けるようになり、その明るい未来像を実現するために自ら行動を起こすようになるのです。

 次回に続きます。

 

 

 

 

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