「学ぶ」とは「真似る」こと。⑤
2024年3月28日
続きです。
「素直で真面目で熱意のある子」成功する子どもの資質につきまして先日このようなお話をしましたが、ここで注意していただきたいのは「真面目の定義」です。本日はそちらのお話ですね。
よく「大人しくて真面目な子」「控えめで真面目な子」のように「大人しさ」「控えめ」と「真面目」をセットにして評価することがあるのですが、この両者はまるで違いますのでセットになることはありません。
私も仕事柄「大人しく静かな子」に出会うこともあるのですが、不思議なことにそういうタイプの子のご両親は逆によくお話しされます。その分口出しも多いのです。おそらく口うるさい親からの自己防御姿勢がそういう子を作り出してしてしまったのかな、と思います。本来生物は子ども時代は「ちょこまか」していてイレギュラーかつ無鉄砲な行動をとるものです。ですから「大人しく静かで控えめな・・」は不自然な姿なのです。もしそうなら「親御さんがそういう子にした」これは間違い無いと思います。
過干渉の親に育てられた子は「反抗しても無駄」「自分はああいう親にはなりたくない」で、心が引きこもり状態になり「大人しく静かな子」になるのです。学校でもそういう子は「他者に介入されたくない」「介入されて傷つくのが嫌」「目立って吊し上げられるのが嫌」なんだと思います。自分を制限してしまう点で生き方が消極的なんですね。これが過度になると「何事にも対しても無気力」になるのです。Fランと呼ばれる大学に行けばわかりますが、多くの学生が大人しいというか「勉強もサークル活動もバイトも全てにおいて無気力なタイプ」が多いのです。
大人しく静かな子は大人から見て人畜無害です。要は自分(大人・親)にとって「余計なことをしない都合の良い子」なのです。その取り扱いのしやすい子を「真面目」と一括りにして評価したり、「真面目の定義」にしてしまったりすると物の道理を見誤り、子育てで失敗してしまうのです。
「生き方が消極的」なのが「大人しく静かな子」の特徴なのです。中には表面的にはそうであっても心が燃えたぎっている子もいます。そういう子は「生きる気力が積極的」で、本当の意味で真面目であることが多いです。また、授業時に私との会話が楽しめるような子は、大人に臆することなく接することができる行動力できる点で「真面目」の部類に入ると思います(当塾ではよくしゃべる子の合格率・パフォーマンスがなぜか高い)。
「真面目の定義」を永田なりに解釈しますと「積極的に生を全うする」ことだと思います。生きることに全力を使うことが生きとし生けるものの義務であり、それを全うすることが「真面目」ではないかと考えています。そして「真面目な子」は先日のお話通り「エネルギシュで行動力のある子」でもあるわけです。
真面目の真の意味を定義した上での「素直で真面目で熱意ある」であることが、中学入試での成功に欠かせない資質なのではないか、そのように感じています。
次回から新テーマです。